ファムファタールが登場する作品ガイド|文学・オペラ・映画でたどる8つの典型

ファムファタールという語は、特定の人物像の名前です。男性を惹きつけ、結果として破滅に導く女性を指します。

ただし、この型でひとくくりにされる人物たちは、作品ごとに造形が違います。自分の欲望に忠実な人物もいれば、生き延びるために計算する人物もいる。

概念の成り立ちは別の記事で扱いました。ここでは具体的な作品をたどり、それぞれの人物がどう描かれているかを見ていきます。

作品を読むときの観点

  • 『カルメン』:束縛を拒む自由が、結果として破滅を招く
  • 『サロメ』:欲望が制度と衝突する
  • フィルム・ノワール:計算と演技が武器になる
  • いずれも最後に処罰される構造を持つ

1.
カルメン

プロスペル・メリメの小説(1845年)と、ビゼーのオペラ(1875年)で知られる人物です。

カルメンは誘惑者として描かれますが、物語を読むと別の面が見えます。彼女は最初から自分の性質を隠していません。束縛されることを拒み、心変わりを隠さず、それを相手にも告げる。

破滅を招くのは、その性質を受け入れられなかった相手の側です。ホセは彼女を所有しようとして失敗し、最終的に殺害に至る。

つまりこの作品は、自由に生きる女性が、それを許さない社会と男性によって殺される物語としても読めます。ファムファタールという分類自体が、加害と被害の関係を反転させている例です。

2.
サロメ

新約聖書に由来する人物を、オスカー・ワイルドが戯曲(1891年)として再構成しました。

聖書のサロメは、母の指示に従って洗礼者ヨハネの首を求めます。主体性を持たない登場人物です。

ワイルドはこれを変えました。彼の戯曲では、サロメ自身がヨハネに執着し、拒まれたことへの反応として首を求めます。動機が母から本人へ移された。

この改変によって、サロメはファムファタールの典型になりました。同時期の象徴主義絵画、特にギュスターヴ・モローの連作も、この人物像の定着に寄与しています。

3.
『マルタの鷹』
(1941年)

ダシール・ハメットの小説を原作とする映画で、フィルム・ノワールの起点とされる作品です。

ブリジッド・オショーネシーは、探偵スペードに偽りの依頼を持ち込みます。彼女の特徴は嘘の多さで、物語の中で何度も説明を変える。

注目すべきは結末です。スペードは彼女に惹かれながら、最終的に警察に引き渡します。感情より職業倫理を優先する選択として描かれる。

この作品以降、「魅力に抗う男性」という構図がノワールの定型のひとつになりました。

4.
『深夜の告白』
(1944年)

ビリー・ワイルダー監督の作品で、原題は Double Indemnity。

フィリス・ディートリクソンは、保険外交員を誘って夫の殺害を計画します。この人物の特徴は、感情ではなく計算で動く点にあります。

彼女は相手に惹かれているように振る舞いますが、それ自体が手段です。物語が進むにつれ、どこまでが演技だったのかが分からなくなる。

この構造がノワールの典型を作りました。観客も主人公と同じように判断を誤るよう設計されています。

5.
『三つ数えろ』
(1946年)

レイモンド・チャンドラーの小説を原作とし、ハンフリー・ボガートとローレン・バコールが共演した作品です。

ここでの女性像は、前の2作とやや性格が異なります。危険で信用できない一方、主人公と対等に渡り合う相手として描かれる。

ファムファタールの型が定着していく過程で、単なる罠ではなく、主人公と拮抗する人物として造形される例が現れた。この変化は後の作品にも引き継がれます。

6.
ヘイズ・コードという
枠組み

この時代のハリウッド映画を読むうえで、避けて通れない制約があります。

ヘイズ・コードと呼ばれる自主規制が、1930年代から1960年代にかけて機能していました。犯罪や不道徳が報われる結末を認めない、という規定が含まれています。

そのため、ファムファタールは物語の終盤で必ず処罰されます。逮捕されるか、撃たれるか、死ぬ。例外はほとんどありません。

この構造は、作品の主題とは別の次元から来ています。作り手が選んだ結末ではなく、制度が要求した結末である可能性が高い。

結末だけを見て「こういう女性は破滅する物語だ」と読むと、制度の要請を作品の主張と取り違えることになります。

7.
ネオ・ノワールでの
変化

1970年代以降、この型を意識的に組み替える作品が現れます。

ヘイズ・コードが廃止され、処罰の結末が必須でなくなったことが背景にあります。罰せられずに終わる人物が描けるようになった。

この変化によって、ファムファタールは「必ず滅びる存在」ではなくなりました。目的を達して去る人物、あるいは主人公の側が破滅する物語が可能になります。

型が批評の対象になったことも大きい。作り手が型を知ったうえで、意図的に裏切る作品が作られるようになりました。

8.
日本の作品に
おける受容

日本でも、この人物像は輸入されて定着しました。

「魔性の女」「傾国の美女」といった語が訳語として使われ、近い意味で流通しています。ただし日本語の語彙には、もともと妲己や楊貴妃といった東アジアの文脈を持つ人物像があり、両者が混ざって使われている。

注意したいのは、日本語の使用では破滅という含みが薄れ、単に魅力的な女性を指す褒め言葉として使われることがある点です。英語圏やフランス語圏では、この語に危険という含みが残ります。

作品からたどる
順番

この順で追うと構造が見える

  • 入口:『深夜の告白』(型が最も明確)
  • 次に:『マルタの鷹』(構図の原型)
  • 文学へ:ワイルド『サロメ』
  • 比較として:メリメ『カルメン』
  • 変化を見る:1970年代以降のネオ・ノワール

この型を
批判的に読む

作品を楽しむことと、その構造を認識することは両立します。

ファムファタールという型には、主人公の選択の結果を女性に負わせる働きがあります。破滅したのは自分の判断ではなく、彼女のせいだという構図が作れる。

1970年代以降の映画批評は、この点を分析してきました。同時に、当時の映画において彼女たちが数少ない能動的な女性像だったという指摘もあります。処罰される結末を除けば、自分の目的のために行動する数少ない人物だった。

つまり単純に否定的な類型とも、肯定的な類型とも言えません。抑圧的な枠組みの中で、逆説的に行為主体性が表れた形と読む立場があります。

作品を見るときに、この二重性を意識しておくと、同じ場面の見え方が変わります。

あの結末は作り手の選択ではない

ファムファタールと呼ばれる人物たちは、同じ型に分類されながら造形が異なります。カルメンは自由を貫き、サロメは欲望に従い、ノワールの人物たちは計算で動く。

共通するのは、いずれも最後に処罰されるという結末の構造です。そしてその構造の一部は、作品の主張ではなく当時の規制から来ています。

作品を読むときは、人物の造形と、結末を決めた外的な条件を分けて見てください。見えるものが変わります。

ファムファタールという概念の成り立ちはこちら:ファムファタールとは|文学と映画がつくった「運命の女」の系譜

Filed in

Which way?

留学とワーホリ、自分に合うのはどちらか。

診断してみる →