森鴎外がドイツへ渡ったのは1884年、明治17年のことです。帰国は1888年。22歳から26歳にかけての4年間でした。
目的は文学ではありません。陸軍の軍医として、衛生学を学ぶための派遣です。それがなぜ『舞姫』に結びついたのか。
滞在した4つの都市をたどると、この留学が何を残したのかが見えてきます。
留学の概要
- 期間:1884年〜1888年(明治17〜21年)
- 立場:陸軍軍医としての官費留学
- 目的:軍の衛生学研究
- 滞在地:ライプツィヒ → ドレスデン → ミュンヘン → ベルリン
- ベルリンでは細菌学者ロベルト・コッホのもとで学ぶ

1.
プロフィール
森鴎外は1862年、石見国津和野(現在の島根県津和野町)に生まれました。代々藩医を務める家系です。
東京医学校(現在の東京大学医学部)を19歳で卒業。当時の最年少記録でした。卒業後に陸軍へ入り、軍医としての道を歩みます。
ドイツ留学は、この経歴の延長線上にあります。西洋の医学と衛生制度を学び、日本の軍隊に導入することが任務でした。
文学は、本業の傍らで行われた活動です。ただし結果として、日本の近代文学に決定的な影響を残すことになります。
2.
旅のはじまり
1884年、横浜から出航します。当時の航路はスエズ運河を経由し、ヨーロッパまで50日前後を要しました。
道中で見た植民地の港町は、鴎外にとって最初の異文化体験になります。日記に記録が残されており、西洋列強の支配下にあるアジアの姿を目にした記述があります。
ベルリンに到着した後、まずライプツィヒへ向かいます。ここから4年間の移動が始まります。

3.
4都市をめぐる
滞在は一箇所に留まりませんでした。ライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンの順に移動しています。
ライプツィヒでは大学で衛生学を学びました。当時のドイツは、医学と自然科学において世界の最先端にありました。
ドレスデンでは軍医学の実地を学びます。軍の衛生制度という、鴎外の任務に直結する領域です。
ミュンヘンでは、ペッテンコーファーという衛生学の権威のもとで学びました。実験衛生学の体系を築いた人物です。
そしてベルリンでは、細菌学者ロベルト・コッホの研究室に入ります。結核菌とコレラ菌の発見者で、後にノーベル賞を受賞する人物です。同時期には北里柴三郎もベルリンでコッホに学んでいました。
4.
学問以外に
得たもの
鴎外が持ち帰ったのは、衛生学の知識だけではありません。
ドイツ語による読書量が、その後の活動を支えました。文学、哲学、美学。医学以外の領域にも広く触れています。帰国後に翻訳者として果たした役割は、この蓄積によるものです。
社交の場にも出ていました。当時のドイツで、日本人留学生は珍しい存在です。現地の人々と接する中で、西洋社会の内側を観察する機会を得ています。
同時に、東洋人として扱われる経験もしました。この二重の視点が、後の作品に影を落とします。

5.
帰国後に
書かれたもの
1888年に帰国した鴎外は、軍医としての職務を続けながら、文筆活動を始めます。
帰国から日清戦争が始まる1894年までの6年間が、最初の創作期にあたります。『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』。いわゆるドイツ三部作が書かれたのはこの時期です。
『舞姫』は、ベルリンを舞台に、日本人留学生と現地の踊り子との関係を描いた作品です。主人公は最終的に彼女を捨てて帰国します。
この作品がどこまで実体験に基づくのかは、長く議論されてきました。鴎外の帰国後に、ドイツから一人の女性が来日した記録があることも知られています。
6.
留学が
残したもの
鴎外の留学を、現代の視点から見ると何が言えるか。
第一に、複数都市を移動する形式です。一箇所に腰を据えるのではなく、目的に応じて移る。それぞれの都市で別の側面を学んでいます。
第二に、本業以外の吸収です。任務は衛生学でしたが、持ち帰ったものは文学と美学にまで及びました。
第三に、外から自国を見る視点です。西洋の制度と日本の制度を並べて考える習慣が、帰国後の言論活動を支えました。
留学の成果を、派遣目的の範囲だけで測ると見誤る。この事例は、そのことを示しています。
7.
同時期の
留学生たち
鴎外の留学は、個人の経験であると同時に、時代の現象でもありました。
明治政府は、西洋の制度と技術を導入するため、多数の留学生を派遣しています。医学、法学、軍事、工学。分野ごとに、どの国に学ぶかが決められていました。
医学はドイツ、法学はフランスとドイツ、海軍はイギリス。この割り当てが、後の日本の制度設計に影響しました。
ベルリンでは、北里柴三郎も同時期にコッホのもとで学んでいます。後に破傷風菌の純粋培養に成功し、血清療法を確立する人物です。
同じ都市に、後に日本の医学と文学を代表することになる二人がいた。官費留学という制度が、狭い範囲に人材を集中させていたことの表れでもあります。
医学を学びに行って、
小説を持ち帰った
森鴎外のドイツ留学は、陸軍の衛生学研究として始まり、4都市を移動する4年間になりました。ベルリンではコッホに学び、帰国後にドイツ三部作を書いています。
任務は医学でした。それでも持ち帰ったものは、日本の近代文学を動かすことになった。留学の成果がどこに現れるかは、出発時には分からないということです。
出典:森鴎外のドイツ留学に関する資料







